狩山 博文

臨床からみた薬物乱用の動向と病理
最近の動向
薬物依存者の心理
薬物乱用低年齢化についての理解
薬物乱用に伴う精神的変化


大久保圭策

ダメ絶対が崩れたら
最近の青少年の覚せい剤乱用の現状と課題




臨床からみた薬物乱用の動向と病理


2 薬物依存者の心理
久米田病院
狩山 博文
 
薬物依存症者の心理
 薬物依存事例に対して保健・医療上の関わりをもつ際、対応者が自らと依存症者との間に「壁」を作ってしまっては何もならない。まず、依存症者の心理に対する理解と共感が対応の第一歩となることは言うまでもない。
 薬物使用に関する病理についてはこれまで「乱用」、「依存」、「中毒」、「中毒性精神病」といった用語で分類されてきた[表3]
5)。この項で取り上げられるのは依存という病理である。DSM−Wでは「物質依存」という呼び名でその診断基準が詳しく記されているが[表4]、薬物依存をより易しく説明するならば、その個人の胸裡のまさしく中心部分に薬物が居座った状態と言える。薬物使用の心身に対する有害性や生活への影響を知りつつも、薬物の入手と使用に関わる事柄が全てに優先し、それが習癖化するのである。この行動特性は「嗜癖(アディクション)」とも称され、近年この観点からの依存症への理解・対応が深められてきている。ここでは薬物依存症者の心理を、嗜癖、薬物に対する両価性、「氷山の一角」という3つのキーワードから説明を試みてみたい。

1) 嗜癖
6)
 嗜癖の定義を表5に示す。
 嗜癖という一種の習慣が薬物摂取行動である場合に薬物嗜癖(依存)となるのであるが、すでに20世紀初めにドイツの精神科医(ゲープザッテル)が「どんな方向の人間的興味も嗜癖的に変質しうる」と指摘しているように7)、嗜癖性はさまざまな人間の営みの中に見出される。今日においても過食症、性行動への耽溺、病的ギャンプル、買い物依存症、仕事中毒(ワーカホリック)、情報中毒(データホリック)といった嗜癖行動が指摘されている。今日のようなストレスに満ちた社会の中にあって、嗜癖が快をもたらすかあるいは不快を取り除く性質をもつものである以上、人それぞれに何らかの嗜癖性をもったとしても不思議ではない。所かまわず携帯電話のメール交換に没頭する若者の姿や時間を忘れてコンピューターゲームに熱中する子供たちの姿の中にも嗜癖の要素が見出される。つまり、嗜癖という問題は、薬物依存に限らず、さまざまなところに及んでいる。嗜癖問題について考え対応方法を探るということは、実際に嗜癖問題に悩まされている者たちについてだけではなく、そうでない人々も含めた社会のあり方にも考えを巡らすことにつながるのである。嗜癖に陥った者と陥っていない者とは決して無縁ではない。従って、嗜癖の内容が法で裁かれる覚せい剤使用であったとしても、その病理の根本には覚せい剤を使わない者たちと同質の問題があるのであり、それは法で裁くことができないものなのである。覚せい剤などの薬物依存症者とわれわれは同じ土俵の中にいるという視点が必要であろう。

2) 薬物に対する両価性
 薬物依存症者については「彼らは好きで薬物をやっている。薬物をやめるかは本人の気持ち次第だ。本気でやめるつもりになりさえすれば何時でもやめられるはずだ」と一般に思われがちである。確かに薬物を使い始めるに際して彼ら自身の好奇心は大きな契機となる。また、断薬についても彼ら自身の回復・治療への意思は必要である。しかし、薬物の乱用が自分にとって100%正しいこと良いことであると思っている者はいないと言っていい。また、長期にわたって薬物を使い続けることを自分の中で100%納得している者もいないと言える。最近は、シンナー、覚せい剤を始めさまざまな乱用薬物の有害性を大半の若者は不十分ながらも知っている。彼らは使ってはならない物をあえて使うのである.そういう正邪の相剋に似たジレンマが薬物に対する興味をかき立て、乱用へ向かわせる力にもなるのであろう。ところが、薬物に対する依存性が深まるとこのジレンマは尚更強まるのである。乱用当初は薬物体験の中で彼らは現実からの解放と自由を味わうのであるが、薬物依存の状況で彼らは薬物に縛られ「自由を失う」8)のである。つまり、彼らは「断ちたいのに、断てない」という薬物に対して両価的感情を抱きつつ、自らの意思に沿わない薬物乱用の連続に追いつめられていくのである。
 両価的感情とは、同一の対象に対して全く相反する2つの感情や態度が個人の中に同時に存在する精神状態のことをいい、精神医学の領域では精神分裂病の基本症状の一つとして挙げられることが多い。しかし、実際には思春期・青年期に見られる「依存−自立」の心理的葛藤など、病的ではなくより普遍的に見出される心理である。従って、薬物依存に陥った若年者の場合、人格成長の過程として請け負わなければならない両価性と薬物に対する両価性という二重の両価性の苦労を担うことになるのである。
 両価的感情にとらわれた者の態度というものはどっちつかずで動揺するものである。彼ら自らが自己の内面を他者に素直に見せるなどということは期待しがたい。従って、このような心理状況にある薬物事例に対応する場合には、煙幕のように張られた反発的言動に目を奪われず、彼らの両価的感情をくみ取り、彼らの胸の内に潜む断薬したいあるいは回復したいとの意思を引き出すような姿勢をとることが大切である。

3)  「氷山の一角」[図2]
 薬物乱用の問題は決して薬物の問題だけに留まることはない.その理解と対応のいずれにおいてもその下に隠されているさまざまな問題に目を向けなければならない.特に思春期・青年期の薬物事例については、図2に示したように、薬物問題は彼らが抱えるさまざまな問題の上に載る「氷山の一角」であり、その対応に際しては水面上の薬物問題よりも水面下の家庭、学業、職業上の問題に注意が向けられなければならない。断薬に対する直接的関わりよりも環境調整の方が優先される場合さえあるのである。児童や少年の薬物事例では、薬物乱用という問題の重大さと年齢の低さとがあまりに不釣り合いに受け取られるため、その驚きと意外性から家族が薬物の問題だけに目を奪われてしまうことがある。しかし、むしろそのような事例においてこそこの「氷山の一角」としての問題の捉え方や対応が必要になるのである。