狩山 博文

臨床からみた薬物乱用の動向と病理
最近の動向
薬物依存者の心理
薬物乱用低年齢化についての理解
薬物乱用に伴う精神的変化


大久保圭策

ダメ絶対が崩れたら
最近の青少年の覚せい剤乱用の現状と課題




臨床からみた薬物乱用の動向と病理


4 薬物乱用の伴う精神的変化
久米田病院
狩山 博文
 
薬物乱用に伴う精神的変化
 薬物は各々の特性によって乱用者の心身にさまざまな影響をもたらす。健康というものには本来的に自由さや多様性というものが含まれているが、疾病はそれらを損なわせる性質を持っている(もちろん治療やリハビリテーションにより回復する可能性はある)。薬物乱用に伴う精神的変化も同様で、乱用当初は十人十色であった乱用者個々人のあり方が、依存性が深まるにつれて徐々にその自由さと多様性を失い、さらには「十人一色」とでも言うべき精神病状態に陥る。ここでは、保健・医療上の事例として比較的数の多い覚せい剤、シンナー、市販鎮咳剤による精神疾患を中心に薬物乱用によって引き起こされる精神的変化について述べる。

1) 薬物乱用の伴う精神的変化
10)
 薬物乱用が繰り返され、それが徐々に個人の生活の中心部分を占めるようになると当然乱用者の生活態度や言動に変化が見られるようになる。これらは薬物依存に伴う性格変化としてまとめられるもので、乱用される薬物の種類に関係なく認められるものである。その具体的な様相を表6に示した。
 この性格変化はしばしば乱用者個人の元来の性格として周囲から受け取られる場合がある。そのため、精神病症状が発症する以前のこの段階で保健・医療上の相談事例となった場合、「元々の性格は治らない」として薬物乱用による精神的変化が過小評価されたり、対応が遅れたりすることがある。しかし、薬物を乱用し始める前の生活歴が十分に調べられれば、乱用者個人の元来の性格と薬物を乱用し始めてからの性格変化との識別はそれほど難しいことではない。薬物乱用者がまず家庭や地域の中で起こす問題行動はこの性格変化に基づく場合が少なくない。また、家族が身内の薬物乱用を疑い始めるのも、この性格変化が契機となることがしばしばである。従って、事例の対応者は、薬物乱用によって引き起こされる精神的変化に対してその視野を幻覚や妄想といった狭い精神病症状だけに限定してはならない。

2) 中毒性精神病の病態 [図5]
 薬物の乱用によって最初に乱用者が体験するのは薬物摂取後一過性に現れる急性効果としての快い作用である。それを求める形で乱用が反復されるのである。しかし、それが度重なる内に今度は徐々に薬物の慢性効果が現れてくるのであるが、これは快くない作用として乱用者に体験される。覚せい剤、シンナー、市販鎮咳剤を乱用した際の効果についてそのおおよそを以下に述べる。

2)−@ 覚せい剤
 覚せい剤はその名の通り急性効果において「髪の毛が逆立つような」快感を伴った覚醒感、活力増強を来す。最近の若者においては、昼はアルバイトをして、夜は徹夜で遊び続けるために覚せい剤をちょっとやる、という感覚で覚せい剤に手を出す者もいる。性感増強のためにも使われる。
 しかし、乱用が反復されると次第に慢性効果としての精神病症状が体験されるようになる。しばしば見られる症状を少し詳しく説明してみたい。周囲の物音が実際以上に大きく聞こえ過敏になる(聴覚過敏)。エアコンの音や水の流れる音と共に自分に喋りかけられる声が聞こえたり、あるいはそのような物音と全く関係なくどこからともなく声が聞こえる(幻聴)。その声は家族や友人・知人の声であることもあれば、全く聞き覚えのない声であったりもする。そして声が自分に対して非難・脅迫・命令・干渉したりする。その声が自分の生活や心の内を言い当てたりするためにどこかに盗聴器などの機械が仕掛けられていると信じ込み天井裏や床下を詮索したり、電気器具類を分解したりする。このような幻覚と表裏一体となって誰かが自分をおとしめようとしているのではないかとの疑念を抱くようになり、家族や友人に対して猫疑心を募らせたり(通称「悪勘」悪く勘ぐること)、被害妄想を抱くようにもなる。どこに行っても誰か(警察や暴力団など)がつけてくる(追跡妄想)、その人物が物陰に潜んでいるのを見た(幻視)という言動も多く認められる。このような幻覚妄想状態は精神分裂病によるものと類似している。また、長期間の乱用により感情の機微や意欲が減弱する事例もあり、精神分裂病との識別が難しい場合もある。
 覚せい剤精神病に関してもう一つ注意しなければならないのは、慢性的な乱用の後、断薬しても前記のような精神病症状が長期間にわたり持続したり、あるいは断薬後一旦は消極した精神病症状が覚せい剤の再乱用ではなく飲酒・不眠・過度のストレスといったことを契機として再燃するという病態である。前者はいわゆる覚せい剤中毒後遺症と言われるものであり、後者はフラッシュバックと呼ばれているものである。このような病態はシンナーなどの他の薬物においても認められるのであるが、断薬後も長く続くこのような病理は、薬物依存から立ち直ろうとする者の足かせとなり得る。ここに覚せい剤を始めとする薬物乱用のもう一つの怖さがある。

2)−A シンナー(吸入剤)
 シンナー乱用はまず酩酊、気分高揚、多幸感をもたらす。時には著しい万能感が体験され、スーパーマンになったような錯覚の中で、乱用場所のビルの屋上から飛び降りる場合さえあるという。
 そして乱用が反復される内に幻覚が体験されるようになるが、まずは楽しい内容の幻覚が体験される傾向がある
11)。きれいな光が飛び交うものであったり、乱用仲間同士で措からレーザー光線を飛ばし合うものであったり、性的な情景であったりする。あるいは普段から敵意を抱いていた親が人から暴力を受ける光景を幻覚の中で見たという事例のように、自分が見たいと思う幻覚が見える場合もある。この楽しい幻覚体験を求めて乱用が反復されることがあるが、やがて幻覚乱用者にとって忌まわしいものに変化するのである。足下で地面が裂け、その中に自分が転落していくシーンを見たりする。また、精神分裂病様の幻聴、妄想も伴うようになり、それが持続的なものになってしまう場合もある。ただ、ごく稀に乱用の長期化に伴いこれらの幻覚が全く体験されなくなったという事例もある。しかし、このような事例は断薬が著しく困難で、シンナー漬けの生活からの回復が難しい者が多い。
 また、長期のシンナー乱用により何事に対しても意欲が出ず、判断力・集中力の著しい低下を招く場合がある。このような状態は動因喪失症侯群(無動機症候群)と呼ばれ、大麻乱用者にも認められることが知られている。

2)−B 市販鎮咳剤
 プロン、トニンといった市販鎮咳剤に麻薬系及び覚せい剤系の成分が含まれてお
り、乱用者の体質によりどちらかの薬理作用が強く働くことなどについては、既に述べた。麻薬様の快惚感あるいは覚せい剤様の覚醒感という急性効果を求めて乱用が繰り返されるが、乱用の反復により慢性効果として次第に不快な倦怠感・無気力感が強く体験されるようになり、鎮咳剤を摂取してようやく通常の活力が回復されるという状況に陥る。つまり、乱用当初の快い作用はわずかしか体験されなくなり、薬物がなければ「普段の自分」にさえ戻れなくなるのである。この不快さを和らげるために乱用が繰り返され、それが尚更不快な慢性効果を招くという悪循環に陥る場合もある。さらに、精神分裂病様または躁うつ病様の精神病症状を発症する場合もある。
 このように各々の薬物には快い急性効果と不快な慢性効果がある。一般に、急性効果は乱用の反復によって徐々に薄れて行く。薬理学的に耐性と呼ばれる現象である。従って、乱用者は快い急性効果をいつも同じように体験するには薬物の1回当たりの使用量あるいは使用頻度を増やさなければならなくなる。他方、慢性効果は乱用が繰り返されるにつれて次第に強められていく。これは、薬理学上逆耐性と呼ばれる現象である
12)。乱用者は耐性によって薄れていく快い急性効果を追い求めて薬物乱用の量・回数を増やすのであるが、それによって慢性効果として精神病症状が発現するとそれらは逆耐性によってますます増悪していくという魔のサイクルができあがってしまうのである。
 このような精神病症状が契機となって家族がいろいろな相談・医療機関を訪れるようになることが多いが、その際に家族自身あるいは対応者がしばしば迷うのは、乱用者に明確な幻覚妄想状態が認められる一方で友人や第3者に奇異な言動を呈することなく全く現実的に対応する場面があることである。このような状態について「まともな、もっともらしいことを言う時と、全然非現実的で妙なことを言う時があり、コロコロ入れ替わる・・・どちらが本当の状態なのか見当がつかない。」と言い表す家族が多い。特に覚せい剤事例においてこのような状態がしばしば認められる。彼らは家族の前では明らかな幻覚妄想状態を見せても、本人の具合を案じて家族が呼び寄せた親類、知人・友人、あるいは保健福祉機関職員や警察官に対しては平静を装いもっともらしい言葉を返すことができるのである。特に自らの利害得失に関する場面では、その直前まで幻覚妄想状態に取り込まれているように見えた乱用者でも全く冷静な打算を働かせることがあり、その変化を目の当たりにした周囲の者を驚かせる場合がある。このような乱用者への対応においては、彼らの中の現実と非現実、正常と異常の「モザイク」のような混合にごまかされず、彼らの精神病状態の深刻さを過小評価しないよう注意すべきである。

3) 中毒性精神病の発現に要する時間経過 [図6]
 薬物によって乱用開始から精神病症状が発現するまでの時間経過に違いが見られる。青少年の覚せい剤、シンナー乱用者は、精神病症状が発現していても、乱用開始からの期間がさほど長くないため、自らの慢性中毒状態の深刻さが理解・実感されにくい場合がある。断薬への導入に際してはまずその無理解が打破されなければならない。薬物を使い始めてからの期間そのものが問題なのではなく、各々の乱用薬物の精神病発現に関する特性が問題なのである。中毒性精神病の古今東西の代表であるアルコール精神病を基準にしてシンナーおよび覚せい剤による精神病発現までの時間経過を図6に示した。
 いずれの薬物においても当然その慢性効果を被るまでの期間に個人差はある。しかし、あえてそれを平均化して比較してみるならば、幻覚妄想といった精神病症状が発現するまでに、アルコールでは1日あたり日本酒に換算して約3〜4合の飲酒を毎日続けて数年〜10年前後の時間を要する。それに対してシンナーでは数ヶ月〜数年、覚せい剤では数週間〜数ヶ月といった乱用期間で精神病状態が発現する。さらに単純化すれば、数週間の覚せい剤乱用および数ヶ月のシンナー乱用は10年間毎日アルコールを飲み続けた場合に匹敵する病理を乱用者にもたらすのである。さらに、数ヶ月〜数年のシンナーや覚せい剤の乱用により精神病状態が断薬後も遷延する後遺症事例が少なからずある。これらのことは、シンナーや覚せい剤事例の断薬への導入はアルコールの場合よりはるかに早期に且つ積極的になされねばならないことを示唆している。断薬が維持されるようになったとしても、後遺症としての精神病状態が遷延すれば、特に若年者の場合その後の長い人生を精神病症状と共に送らなければならず、社会適応がより困難に満ちたものになるのである。

4) 中毒性精神疾患の横断的病像
 これまで述べてきたように、薬物乱用事例に見出される病理には乱用し始める以前からあるものと、乱用が始まって以降に加わってくるものとがある。前者としては元々存在する家族の問題や乱用者個人の人格・生活上の問題が挙げられるし、後者としては薬物依存に伴う性格変化や精神病症状が挙げられる。薬物乱用者が保健・医療上の事例となった場合、その時点ではこれら複数の病理が重なり合っているのである。そのため対応に際してはまずその重なり合った病理をふるい分ける必要がある。そして、各々の問題に対して家族、医療、保健福祉、学校などがどのように関わるかを検討しなければならない。問題点が整理されないまま、的はずれな対応が図られないよう注意しなければならない。

5) 思春期・青年期において覚せい剤乱用が疑われる徴候
 最近の覚せい剤乱用低年齢化に伴い、覚せい剤を乱用している明白な「証拠」がないもののそれが疑われたり、あるいは再乱用が懸念されるといった若年事例の相談がみられるようになった。シンナーの場合はその臭いによって周囲は乱用の有無を知ることができるが、覚せい剤の場合は、その乱用現場を目撃するか、あるいは本人が乱用を告白する以外周囲の者が乱用を直接的に知る手立てはほとんどない。どのような場合にその若者について薬物(特に覚せい剤)乱用が疑われるのか、その徴侯についてまとめたものを表7
 13)に示すが、勿論これらの徴侯の一部は若年者に限ったものではない。
 この中で相談現場の実際においてしばしば頼りにされる徴侯は、食事と睡眠の著しいむらである。静注法であれ加熱吸煙法であれ、どのような方法で乱用されても覚せい剤は乱用者の食欲と睡眠欲求を減退させる働きを持つ。連続的な覚せい剤乱用に陥った者の生活パターンを平均化して述べると以下のようになる。すなわち、彼らは連続的な覚せい剤の乱用の下4〜5日間はほとんど食べず眠らずで過ごすことができる。しかし、それ以上の乱用の連続には体力的な限界があり、その後2〜3日間はそれまでと打って変わって眠り込み、たまに目覚めては家の中の食べ物を一人で、食るように食べ、そしてまた寝るということを繰り返す。これによって体力を回復させると再び覚せい剤乱用に耽る、というサイクルである。約1週間を周期としてこのような不食・不眠と過食・過眠が繰り返されるのである。この徴侯は、少なからぬ量の覚せい剤がほぼ連続的に乱用されていることを比較的確実に推測させるものであり、断薬に向けた対応の検討がやや急がれる状況であることを示唆している。